輪々華と華の化け猫暮らし

重い病の占い師が足長おじさん風ご主人様(夫)に飼われるだけの幸福を満喫しつつ反抗する日々📨ioan7379@yahoo.co.jp

ザリガニくんから広がる話

娘が、学校でザリガニつりに

行き、なんか知らんが

自宅飼育の形になっている。

 

どうも、学校側は方針を固めてないらしく、

夏休みの間、自宅飼育。

 

プリントなど、お知らせはなし。

 

今どき、忙しい親が当たり前なのに

共働きも普通なのに、

生き物苦手な人もいるだろうに、

何だかめちゃくちゃ。

 

ザリガニは、放置したらダメ。

水の量も難しい。

水替えしないと、臭くなる。

 

神経質多嘉良、毎朝水替えして

ご飯あげて、

なんだか多嘉良にはなついている。

ザリガニくん。

ご飯の時は、顔を出す。

(娘や私には、顔だししない)

 

一回、学校に持って行かなきゃで

それもまた、大変。

娘は車通学なので

(運転してるのは多嘉良。帰りはお母さんかお父さん、または志村さん)

楽かと思いきや、車に水が垂れたら

大変。

多嘉良が「・・・・・・」と、なる。

 

なにげに水槽洗うのは大変だし、

かといってポンプついてるやつにすると、

いきなり学校に持って来いって

言われたら、その度に大変。

 

うーん。

よくわからん学校だ。

生き物なんだから、命なんだから、

環境の変化だって負担じゃない?

特に、娘のザリガニくんは、まだ赤ちゃん。

赤ちゃんというか、小さいから

ザリガニの子ども。

 

夏休み、家で見なきゃなのなら

川に還したいな。

または、学校で飼育の形なのか、

きちっと決めてほしい。

家の子にするなら、

ちゃんとガラスの水槽買って、

エアーポンプ入れるしさ。

移動の必要ないんだったらさ。

 

プラスチックの水槽で、

ただ置いてると

酸素量が一定じゃないから、

たまに横向きで息してるし。

水中の酸素が足りなくなるらしい。

 

私の気配には気づかず、こそそっと

遊んでて、

見つかった!って感じに

ピピピー、と隠れる。

かわいい。

 

今までもエビは食べらんなかったけど、

これからも食べることはないわ。

ザリガニとエビって、分類上、あまり

違いないらしいから。

 

ってか、エビカニで昔、

ちょっと痒くなったことあるから、

どっちにしろ

食べられんわ。

 

みーさんが魚介類アレルギーだったから、

調理したことないし。

 

多嘉良も、

私が生き物(食べ物としての生き物)

を触るのを苦手なのは、知ってるので

無理に作るなと言うし。

 

まあ、勝手にお魚さばいて

ぶっ倒れられるのが、面倒だよな…

 

 

この赤ちゃんザリガニくん、

心配。

まだ小さいので、ほとんど隠れ家

(素焼きの土管内)で眠っている。

 

私の好きな本のひとつに、

上橋菜穂子さんの

獣の奏者」がある。

 

アニメ化などで有名な本だから、

わかる人いらっしゃるはず。

 

あの中で、主人公のお母さんが

「人に飼われていなければ、獣は

生も死も己のものだろうに」

というふうな言葉を、呟く。

 

実際はさ、人に飼われていても

動物の命は、人のものなんかではなく、

その子のものだと思う。

 

自然界で、他の動物に命の為に、

他の動物の命の為に、食べられる為に

殺められても。

人の手の中で、寿命で静かに亡くなるに

しても。

何にしても、その子の命は

その子もの。

 

神様が連れていく。神様の世界で、大事に

してくださる。

 

人が、意図的に

たとえばストレス解消などで、

他の命を消すのは、あってはならないと

思う。

戦場などでは、メチャクチャな状況下で

人が人を、何の意味もなく

遊びか何かで、殺めたことも

時代の中では、ある。

 

表の世界にでて来ないだけで、

現代でも、残虐なことはある。

人間の中には、残虐な性質を持つ人がいる。

私は、その人はすでに鬼であるとか

表現するけど、他にも色んな言いかたは

ある。

修羅だとか、人間以下だとか。

 

彼らの理論だと、

赤ちゃんや子供は弱いから、すぐ死ぬから

殺したって良い、みたいな

ふうになっている。

弱いから、無抵抗だから

虐めて良い、になっている。

 

それは、いつかもっと強い存在に、

同じようにされる。

 

悪人に、

何かトラウマあるのか?って思うけど、

ある人と、ない人といる。

壮絶な幼少期の果てに、殺人鬼になる人と、

普通の家で育った人と、様々。

 

反社会的なことが、趣味な人が

この世には、いる。

 

こういう人が、なぜいるの?

と言ったら、

犠牲になった命を通じて、

他の人たちが何かに気づいたり、

身を守ったり、大事な人を守ったり

するため

と言えるけど、

犠牲になった命や、その周りの方々には

つらいだけ。

 

全て學びだと、言えないこと。

言うのは簡単だけど、

つらすぎて、死を選んだほうが

楽だもの。

 

私の母が、唯一尊かったのは

色々な苦難を乗り越えていたから、

言葉に力が、凄くあったこと。

 

本当に、地獄のようなことを体験した

人の中の、更に地獄みたいなことを、

見て、そこに落ちて、越えた人とは思う。

 

地獄の度合いなんか、計りたくもないけど。

 

母は、突発的な人生の苦難に陥った人を、

一言で救い上げるような力があった。

 

特に、誰か大切な人を亡くした

という方々には。

 

普通、10代前半で両親を亡くしていたら

精神が幼稚になったりする。

母の両親は、早くに亡くなった。

最初の夫(私の父)も、まだ若い内に

亡くなった。

確かに、母は変な部分もあったけど。

 

お葬式で泣いてる人を、いきなり

シャキッと、前向きにさせた。

霊を降ろすとか、そんな

ゆっくりなことはしない。

抱き締めて、一緒に泣く場合と

叱りつける場合があった。

その人の大事な人の霊が、

何て言ってるか、によるのだろうけど。

 

母は、もう死別が嫌だから、

あんな奴(義理父)だけど同時に

死ぬことにしたんだね。

 

私は苦労の質や、量が母には

及ばないし、

まあ、度量が違うから

母のようにはなれない。

 

姉のようにも、姉のように強くも

やっぱなれない。

 

私は、たぶんにこにこしてることしか、

出来ない。

目の前の人をただ大切に、抱えたい。