輪々華と華の化け猫暮らし

重い病の占い師が足長おじさん風ご主人様(夫)に飼われるだけの幸福を満喫しつつ反抗する日々📨ioan7379@yahoo.co.jp

厄年について

これは、一種の呪いだし

集団催眠です。

 

信じるとか、信じないというものでも

ないです。

 

ただの節目。

今まで生きてきて、何があったか考えたり、

振り返って、あれは何の意味があったんだろうと、想いを馳せたり。

 

生きてこられて、ありがとうと思うこと。

感謝をして、また毎日、懸命に生きるだけ。

別に厄年関係なく、日々思うようにすると

どんな小さなことにでも、感謝が出来るようになります。

 

物事の意味も、なるべく占い師に聞くと

いうのは、しないほうが良いです。

ヒントくらいなら、尋ねても良いんだけど。

みずからの力で考えられなくなるから。

 

厄年に病気になるとか、事故るとか、まさに

呪いだし…。

 

 

そもそも、病気は悪いこと?

生きているのだから、何かの不具合は出ます。長く生きたら、その確率も上がります。

 

痛いとか苦しいのは、嫌だけど

家族の気持ちがまとまったり、命が尊い

いうことの、本当の意味を知ったり。

人に助けて頂くことを、身に沁みて知ったり。

 

事故は、自分だけ気をつけてたら防げるって

わけじゃないけど、気をつけるに

越したことない。厄年関係なく。

事故にも、程度や種類があるけど

厄年に事故なんて言ったら、

どんだけ集中してその年齢の人に、起こるんだい?って話。

 

病も事故も、気にしてたら具合悪くなるし

呼んじゃうし、厄って心がけ次第で発生すること

でも、あります。

 

悪いことして生きていたら、悪いことが起こるし、悪い生きかたしか出来なくなるのだし。

それは、厄のある人生を選んでいることになります。

 

気を引き締めなさいよ、の意味で

ちょいちょいだいたいの感じで、設定されてる節目、くらいの認識でも良いです。

 

御祓が必要か?ですが、

気休めと言って良いです。

 

御祓の間、人が何を思っているかですが、

自分や家族だけは、助かりたい

というような、身勝手な気持ちが多いと思う。

神様の前で

世界平和まで、祈れるのだろうか?と言ったら、だいたいの方々は祈れないし

(形だけでも祈れていない)。

 

そもそも、祈りの姿勢が

わからない方々が、多いのだし。

心から、誰かのために。って、愛する近しい

人じゃなきゃ、難しいよね。

祈りの正体は、深い愛情や優しさで、

祈れることは、持って生まれた力なのだと思います。

 

祈りという環境に慣れてる多嘉良ですら、

祈りは難しいと言います。

でも、すごく優しい情愛のかたまりの人です。

 

聖職者で、祈れてない人もいるし

悪いことする人だっています。国によらず。

 

御祓を受けるのなら、感謝をすると良いです。

神様仏様を普段から、意識してなくて

感謝もしてないのに、その時だけ…

ってのは、神様もおわかりなのだし。

 

でも、神様は愛や、光なのだから

許してくださる。

自分自身をさらけ出して、もっと成長します!

とか神様、お忙しいのにごめんなさい、と

常に謙虚な心でいたら、

守ってくださる。

 

厄年。怖がるのじゃなく、生まれてから無事に生きてこられたことの、感謝と

大事な周りの人人のためにも、何が出来るか考えたりすることの、きっかけの年。

もちろん、普段からずっと感謝の念をもって、

周りの人を、支えようと思えることが一番

大切で、良いことです。

 

だいたい、厄年なんつったら

私の子供時代は毎日が厄厄厄、だったわよ。

毎日、毎年。それが長く続いたわ。

そんなもんです。

 

生き延びたから、…私は良かったけど、

亡くなる子もいるし、

生き延びたからって、大人になってからも

暗い影を背負って、生きるのが苦しい人だっている。

 

 

今はもう、大大大大最大級の喜びがずっと

続いている、幸せ猫人間人生(??)です。