輪々華と華の化け猫暮らし

重い病の占い師が足長おじさん風ご主人様(夫)に飼われるだけの幸福を満喫しつつ反抗する日々📨ioan7379@yahoo.co.jp

夢と前世

今日もかなり、ずっと眠っていた。

朝は、多嘉良がベタコラしてて(ひっついていて)

痛てーな、リラックスできないじゃん、

と思いながらも、スヤスヤ。すやすや。

 

無意識に、

「私が守ってあげるね。事故も病気もしないのよ。死でふたりは別たれないのよ。ずっと幸せ。永続。むにゃむにゃにゃにゃー」

的な呪文?

を唱える。

多嘉良が安心するのが、わかっているので。

 

その後、パッと見たら多嘉良は起きてて、

スーツ着てて、お出かけするところ。

 

多嘉良の外出中、お母さんか、志村さん(仮。シムラけんさんじゃないよ。お掃除をしてくださるかた)

が、いらっしゃる。

 

私はほとんど、寝室から出ずに

出ても頭ボサーで、

ずりずりと毛布持ってたり、

洗礼服みたいな部屋着で、

…う。

やばい人。

 

今は貧血なので、顔が…まっ白。

お母さんは何してるかっていうと、

志村さんがいなければ何か作ってくれたり、

レース編みしたり、本読んだり。

娘の部屋かリビングか、どっちか。

 

私の気配がなさすぎて、トイレ行っても

気づかない。

気づいたら、お話する。

 

今日はほぼ、ずっと

寝てた。

夢であちこちに行く。

 

重要な夢を見ることがある。

ある時代の、ある人物になってる。

墓守りをしている夢。私はお爺さん。

色とりどり。

楽しい。心の穏やかな日々。

 

また別の国。

一室から出ずにいる。

重い装身具。

神様の世界を見に行く人(女の子)になってる。つらい。孤独、静かな場所。

 

なんか…

どの時代でも神様に

かかわっている。多嘉良もいる。見たらすぐ

わかる。

 

墓守りのお爺さんの友達のお爺さんが、多嘉良だった。

 

女の子のお世話人が、多嘉良だった。

(今と役割同じ)

 

うーん。今日みたいな夢の日々だけだったら、

頭が狂いそう。狂ったことすら、わからずに。

幸せかも。

 

夕方、多嘉良に頼んでお買い物。

日用品。

ふらふら…

ふらふら。

寒いね。寒い、真冬の雨が降っていた。

 

夕方。真冬の。

17時くらい、薄い青い夕暮れ。

空気がきぃんと冷えていて、

違うか…

しーん、としている。

 

車の中で、多嘉良が毛布かけてくれる。

ほわほわ。

幸せ…。

音楽。

west lifeの歌が、車内を流れている。

今は本当に幸せだ。

 

冬の夕暮れは、小学5年生の時の寂しい思い出が強いんだけど、

逆に6年生の冬は、家が(経済的に)少しだけ落ち着いて。

だから、悪い思い出の中の、ちょっとの休み?

最悪の中の、ただの悪?

なのね。

 

よくわからないこと言ってるけど。

勉強って、面白いと思ったのが6年生の3学期。

今の子って、前期・後期制がほとんどだけどさ。

 

ちゃんとした温かい飲み物に、初めてくらいに触れたのは

多嘉良の家でだけど。

 

ミロ(ミルクに混ぜるとおいしい粉。今もあるよね?)

とか、紅茶の葉っぱ買ってみたりとか、

少ない手持ちのお金から、

してたわ。

 

うちの親は、私がどんなに働いても、

スロットとかテレホンレディ(古っ)とか、

町のビール瓶回収とかだよ…

500円くれるくらいだったのよ。

あっ、だから、500円玉が好きなのかも。

悲しいわね。

 

ま、そんで

ミロ飲んで本読むとか、

勉強する喜びを知ったのが12才ね。

12才の1/10に初めて生理きた。覚えてるわ。

 

ってなことを、話しつつ帰宅。

 

鉄剤の副作用だと思うんだけど、吐きが

ひでーや。

むかむか。吐くと精神的にも、消耗する。

 

聖書を読む。

聖書というのは、わかりやすい。

信仰というのは、優しい。

神様って、人間のどうしようもないこと、

受け入れてくださる。

 

世の中に、宗教はいっぱいある。

そんな意味わからないこと、信じるなという人もいる。神様は目に見えないから。

宗教ごとに、色んな決まりがある。

 

人の欲、お金、物質、悪い念、そんな宗教もある。

けれど、そこに救われたり

その組織の、人間関係に支えられる人もいる。

だから、その人を否定は出来ない。犯罪じゃない限りは。

 

小さい時、5才くらいか。

新興宗教のセレモニー、連れて行かれたことがある。

例の、叔父さんが幹部やってるやつ。

まさかと思ってたけど、多嘉良に話したら

それは本部だ、って教えてくれた。

地元にあるビルも、教えてくれた。

 

寒かったし、人がいっぱいいて、銅像

祈っていた。異様な風景だったな。

 

念がごうごうと渦巻いてた。

その宗教の映画もあった。怖かった。

 

多嘉良のお母さんやお父さんと、教会に

行った時は暖かかった。強制じゃないから。

 

子供のうちに、信仰を決めつけられてはいけないと思う。

 

娘は、お寺の保育園だったし

私達が聖書読んだり教会行くから、色々と見てる。

占いの本も、神様の本も見る。

でも、娘の自由。

選択は娘のもの。

 

 

話ずれた。お風呂入ります。